時々私は、
住まいとは、
単なる資産取得ではなく、
価値観の表現でもあるのではないか、
と考えることがあります。
少し大げさかもしれません。
しかし、
所有というものには、
価格以上の思想が宿ることがある。
そう感じることがあります。
Max Weber の
The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism
は、
私に長く考える材料を与えてくれました。
特に、
「天職(Beruf)」という考え。
仕事への専念が、
単なる生計ではなく、
召命でもあるという見方。
これは深い。
予定説については、
私自身、随分考えました。
救済が予定されているなら、
なぜ人は働き、蓄え、禁欲するのか。
しかしヴェーバーは、
その不安こそが、
勤労倫理と蓄積を生み、
資本主義精神を支えたと読む。
非常に示唆的です。
私は、
仕事には収入以上の意味があると思っています。
人格を整えること。
責任を引き受けること。
職能を磨くこと。
そうした意味で、
「仕事」は、
ある種の倫理でもある。
不動産実務も、
本来そうあるべきではないか。
私は時々そう思います。
「Property」という言葉には、
不動産以上の含意がある。
所有。
蓄積。
独立。
責任。
そして自由。
私は、
マイホーム取得もまた、
単なる売買ではなく、
人生設計に近いものだと考えています。
35年の住宅ローン。
時には億に近い負債。
これは、
軽い意思決定ではない。
だからこそ、
私は
債務超過だけは避けたい
と思っています。
住まいが、
幸福を支えるものであるなら、
将来の重荷であってほしくない。
資産価値は、
価格の議論として語られがちです。
しかし私は、
そこには倫理もあると思っています。
流動性。
出口戦略。
過剰な負債回避。
需要の厚み。
これらは投機ではなく、
生活防衛でもある。
以前書いた
The greatest happiness of the greatest number
最大多数の最大幸福。
この考えにも通じるように思います。
多くの人に支持される条件には、
ある種の合理と幸福が宿る。
資産価値とは、
本来その一部なのかもしれません。
私は時々、
一神教的倫理と、
日本の八百万的世界観の違いについても考えます。
規律と召命。
調和と関係性。
違いはあっても、
どちらも
「どう生きるか」
を問うものかもしれない。
住まいもまた、
その問いと無関係ではない。
そう思っています。
家を買うことは、
価格だけの問題ではない。
働く意味。
所有の意味。
自由と責任。
幸福と安全性。
その均衡を探すこと。
それも住まい選びなのかもしれません。
Property may not be only an economic idea.
It may also be a moral one.