
担保を取る金融は、どこまで個人を追うべきなのか。
強いタイトルかもしれない。
挑発的に見えるかもしれない。
だが私は、この問いは住宅金融において、一度は考えられてよいテーマだと思っている。
住宅ローンとは、無担保融資ではない。
担保がある。
買う不動産そのものに、抵当権が設定される。
ここが前提だ。
ならば私は、素朴に思う。
担保を取っている金融は、その担保処分で一定の区切りを持つべきではないか。
この問いだ。
もちろん、現実の制度はそう単純ではない。
承知している。
私は実務を知らずに言っているわけではない。
だが、制度として考える余地はあると思っている。
住宅ローンが、住宅という担保付き契約である以上、
貸し手も価格下落リスクの一部は負う。
本来そう考えてもよいのではないか。
私はそう思う。
ここで誤解してほしくない。
借金を踏み倒せと言いたいのではない。
そうではない。
これはモラルの話ではなく、
リスク分担の話である。
金融とは、本来そういうものだ。
貸し手だけが守られ、
借り手だけが人生全体で負う。
それは、少しバランスを欠くようにも見える。
私はそう感じる。
特に、売却しても残債が残る債務超過。
これは重い。
非常に重い。
家を手放しても、借金だけ残る。
再出発したくても重荷が残る。
ここに私は、住宅金融の厳しさを見る。
そして同時に、
制度として本当にこれでよいのか、とも思う。
私は、ここにノンリコース思想が接続すると考えている。
担保で終える。
そこで債務を閉じる。
この考え方は、決して甘えではなく、一つの制度思想だ。
現に、海外ではそうした発想が一定存在する。
珍説ではない。
私はそこに学ぶ余地はあると思っている。
日本では、債権回収は強い。
粘り強い。
ある意味、徹底している。
それ自体を否定するつもりはない。
契約社会として理解はする。
だが一方で、
住宅取得に失敗した個人を、どこまで追い続けるのか。
ここには倫理の問いもある。
私はそう思う。
また、ここで重要なのは、
銀行もプロだということ。
不動産価格リスク。
融資比率。
与信判断。
それらを見て貸している。
ならば、その判断の結果について、一定の市場リスクを負うという発想にも合理はある。
私はそう考えている。
もちろんこれは制度提言に近い。
現行実務とは違う。
だが、提言があってよい。
そう思う。
私は住宅購入者に、ここから逆算して考えてほしい。
もし売って残債が残る可能性が高いなら、
その物件は本当に買うべきなのか。
これは次のテーマにもつながる。
重要だ。
私は常々思う。
住宅ローンとは、借りられることより、
出口で壊れないこと
の方が重要だ。
その視点が、日本ではやや弱い気がする。
だからこそ、この問いを置きたい。
銀行は、担保付きで貸している。
ならば私は、こう考えてみる余地はあると思う。
銀行は、不動産の売却代金で満足せよ。
少なくとも、その思想を議論する価値はある。
それがこの編で伝えたいことである。