人は、なぜ都心のマンションに憧れるのだろう。
駅近。
ブランドマンション。
高層階。
ラウンジ。
内廊下。
眺望。
それらは魅力だ。
否定しない。
だが時々、私は考える。
それは住まいなのか。
それとも、社会的記号なのか。
住まいの本質は、
まず shelter。
身を守る場所。
生活を支える場所。
休息の場。
本来はそうだ。
だが都市では時に、
住まいはステータスも帯びる。
ここが面白い。
どこに住むか。
それは時に、
どう見られたいか
とも重なる。
住所。
ブランド。
階数。
眺望。
所有は時に自己表現になる。
これは否定ではない。
人間らしいことでもある。
ここは現実。
無理をした住宅ローン。
管理費。
修繕積立金。
固定資産税。
駐車場。
見えにくい固定費は重なる。
「住むため」ではなく
「見せるため」
に寄ると、
負担は増えやすい。
私はそう見ている。
重要だと思う。
高い家に住むことと、
豊かな生活は必ずしも同じではない。
住宅費が重くなり、
暮らしが痩せるなら
本末転倒もありうる。
住まいは人生を支える器であって、
人生を圧迫する装置ではない。
そうは思わない。
少しの憧れは、人を前に進める。
問題は、
見栄が経済合理性を超える時。
そこは危うい。
私はそう思う。
もちろんある。
利便性。
流動性。
資産性。
強い。
だから人気がある。
ただし、
「本当に自分に必要か」
は別の問い。
ここは考えたい。
友人より良い家。
同僚より良いマンション。
そういう比較で選ぶと苦しい。
住まいは競争ではない。
適合だ。
自分に合うか。
家計に合うか。
人生に合うか。
そこが重要だと思う。
これは付け加えたい。
都心マンションは、
場合によっては非常に合理的。
職住近接。
時間短縮。
資産防衛。
それは見栄ではない。
戦略。
だから一概に否定はしない。
マンションは、
ステータスである前に、
住まいであるべきだ。
見栄が悪いのではない。
だが、
住まいが記号化しすぎると
本質を見失うことがある。
私はそう思っている。
問うべきは、
「人にどう見えるか」
ではなく
自分にとって、それは shelter か。
そこかもしれない。
Status fades.
Shelter remains.
次 Part3
What Ownership Really Means(所有権でマンションを持つ意味)
ここ、抵当権論も入れる