
家を買ったつもりでも、完済するまで本当の意味では自由ではない。
住宅を買う。
多くの人は、それを「所有すること」だと考える。
もちろん法的には所有権を取得する。
間違ってはいない。
だが私は、住宅ローンがある限り、その所有権は完全に自由なものではないと思っている。
強い言い方かもしれない。
だが本質だ。
抵当権は、時に所有権より強い。
私はそう考えている。
なぜなら、返済不能になれば、
所有は維持できないからだ。
ここに住宅ローンの本質がある。
人は「持ち家」を買ったと思う。
だが金融の視点では、
完済まで、その不動産には債権者の権利が重く乗っている。
この現実は、もっと意識されてよい。
私はそう思う。
所有しているつもりでも、
その所有は、債務条件付きの所有でもある。
ここに逆説がある。
深いテーマだ。
私は時に思う。
住宅購入者は、
所有権を買っているというより、
返済を前提とした使用権を積み上げている側面もある。
乱暴に聞こえるかもしれない。
だが考える価値はある。
なぜなら、返済が崩れれば、
所有権は抵当権に敗れるからだ。
これは現実だ。
そしてここが重要だ。
抵当権の怖さは、競売だけでは終わらない場合があること。
売っても残債が残る。
債務は消えない。
ここに住宅ローンの重さがある。
私は前編で、
「銀行は売却代金で満足すべきではないか」
と書いた。
その背景には、この問題意識がある。
住宅ローン債権は金額が大きい。
期間も長い。
ひとたび崩れると重い。
非常に重い。
そして時に、
債権は流れる。
金融機関から移る。
管理主体が変わる。
突然、回収局面が変わる。
現実には、そういうこともある。
ここに私は、個人が背負うには重すぎる構造を見る。
家族まで巻き込みかねない。
だからこそ私は、
住宅ローンを単なる前向きな契約としてだけ見てはいけないと思う。
これは時に、人生を拘束しうる契約でもある。
その認識は必要だ。
私は、ここで所有権信仰にも少し距離を置きたい。
「持ち家だから安心」
本当にそうか。
借金で過度に縛られているなら、
それは本当に自由なのか。
私は問い直したい。
ここで、賃貸という存在も違って見えてくる。
賃借権は弱いと見られがちだ。
だが借金がない自由には、別の強さもある。
これは後編で触れたい。
重要な論点だ。
私は購入者に伝えたい。
住宅ローンを組むということは、
家を買うだけではない。
抵当権と共に生きる契約を結ぶことでもある。
ここを軽く見ないでほしい。
夢を壊すためではない。
夢を現実で守るためだ。
私はそう思う。
そしてこの編で言いたいことは、一つに尽きる。
抵当権は、時に所有権を破る。
この現実を知ってから住宅ローンを組むのと、
知らずに組むのでは、
意味が違う。
私はそう考えている。