
通貨は、空気のようなものだ。
普段、その存在を意識しない。
あることを前提に生きている。
だが、もしその信用が崩れたら。
何が起こるのか。
ここに、
ハイパーインフレという現象がある。
単なる物価上昇ではない。
制御不能な暴走だ。
物価が月単位で跳ねる。
昨日より今日。
今日より明日。
紙幣が紙くずになる。
通貨が信用を失う。
これは、経済現象である前に、
社会の動揺でもある。
日本人は忘れがちだ。
だが戦後、
激しいインフレを経験している。
貨幣価値は揺らいだ。
生活は混乱した。
歴史はある。
他人事ではない。
ワイマール。
有名だ。
札束でパンを買う。
通貨が死ぬ。
国家が揺らぐ。
極端に見える。
だが通貨信用とは、
本来それほど繊細なものだ。
私はそう思う。
日銀か。
政治か。
財政か。
国民の信認か。
おそらく全部だ。
通貨は紙ではない。
信用そのものだ。
その信用を支えるのは、
制度だけではない。
社会でもある。
国家でもある。
人心でもある。
深い問いだ。
私は、
中央銀行だけではないと思う。
働く人。
税を支える人。
企業。
共同体。
国家意思。
全部。
通貨とは共同幻想とも言われる。
だが幻想だから脆いのではない。
共有されているから強い。
私はそう思う。
現金は弱い。
預金も弱い。
固定資産は相対的に強く見えることがある。
ここで、
実物資産の意味が変わる。
土地。
不動産。
モノ。
価値保存の意味を持つ場合がある。
ここは、不動産ともつながる。
シリーズが戻ってくる。
面白い。
これは重要。
私は破局論を書きたいのではない。
そうではない。
言いたいのは、
通貨信用は当然ではない
ということ。
それを知ることは重要。
この言葉、重い。
私は好きだ。
日本は小さな島国かもしれない。
だが、守るべきものはある。
通貨も。
生活も。
秩序も。
未来も。
だから声を上げる。
考える。
無関心でいない。
これは経済の話であり、
市民の話でもある。
通貨とは数字ではない。
信認。
秩序。
国家そのものの一部だ。
そう考えると、
「円」を考えることは、
日本を考えることにも近い。
私はそう思う。
ハイパーインフレとは、
物価上昇ではない。
通貨信用の崩壊だ。
だから知っておく意味がある。
恐れるためではなく、
守るために。
私はそう考えている。
最後に残る問いは、
お金を信じるか、価値を信じるかである。
そして私は思う。
守るべきものがあるなら、
声を上げるべきだ。
愛する日本のために。