
借金は、住まいを手に入れる道具であって、人生を拘束する鎖であってはならない。
住宅ローンは、多くの人にとって人生最大の債務である。
しかし不思議なことに、借りる瞬間、人はその重さを忘れやすい。
新居への期待。
所有する喜び。
家族の夢。
購入時、人の意識は「取得」に向かいやすい。
だが私は、不動産実務に身を置いてきて思う。
本当に考えるべきは、取得ではなく維持だ。
そして、さらに言えば失敗した場合にどうなるかだ。
ここはあまり語られない。
しかし本質だと思う。
私は時に感じる。
住宅ローンの怖さは、金額の大きさではない。
失敗した時の尾の長さにある。
ここだ。
消費の失敗なら、やり直せる。
車を買い替えることもできる。
だが住宅ローンは違う。
時に、人生そのものを長く拘束する。
これは重い。
例えば、無理な借入。
収入減。
離職。
病気。
金利上昇。
人生には、想定外がある。
誰にもある。
その時、住宅ローンは急に「夢」から「負担」に変わることがある。
ここが怖い。
私は思う。
住宅ローンとは、返せる時より、
返せなくなった時にどうなるか
で考えるべきだ。
これは防御思想である。
だが重要だ。
住宅購入時、人は楽観に寄りやすい。
「なんとかなる」
そう思いたい。
だが金融では、なんとかなる、は弱い。
なんとかならない時を考える。
それが設計だ。
私はそう考えている。
特に怖いのは、債務超過。
売っても借金が残る。
これは重い。
非常に重い。
住み替えも難しくなる。
再出発もしにくくなる。
ここに、住宅ローン特有の怖さがある。
私はここをもっと購入者に意識してほしい。
なぜなら、多くの人は買う時、
「払えるか」
は考えても、
破綻した時、どうなるか
までは考えないからだ。
だが、本来そこまで考えて契約すべきなのだと思う。
私は時に言う。
住宅ローンは、希望の契約である前に、
リスク契約でもある。
ここを忘れてはいけない。
そして私は、だからこそ前編でノンリコースという思想を置いた。
失敗が人生全体を縛らない設計。
これは理想論ではなく、
破綻コストを社会全体でどう考えるかという制度論でもある。
深いテーマだ。
また私は、住宅ローン破綻を個人の失敗だけで語るのも違うと思っている。
時にそれは、
価格高騰。
過剰融資。
制度設計。
市場環境。
そうした構造とも関係する。
個人責任だけで片づけられない。
ここも見たい。
私は購入者に、こう問いかけたい。
もしこの家を10年後、想定価格で売れなかったら。
もし収入が下がったら。
もし配偶者が働けなくなったら。
それでも返せるか。
ここを考えてほしい。
夢を壊すためではない。
夢を守るためだ。
私はそう思う。
住宅ローンの失敗は、時に一生に尾を引く。
だから、借りる前に恐れてよい。
慎重でよい。
むしろ、その方が健全だ。
不動産は攻めだけではない。
守りである。
住宅ローンはなおさらそうだ。
そしてこの編で私が言いたいことは、一つに尽きる。
住宅ローンは、返せる時ではなく、返せなくなった時を想定して組むべきである。
そこからしか、本当の安全は始まらない。