
住まいは、いつから金融商品になったのか。居住と投機の境界を考える。
ここまで、住まいを構造、資産、管理、共同体、出口戦略という観点から見てきた。
最後に、どうしても触れておきたいテーマがある。
タワマン投機。
これは、住まい論であると同時に、現代社会論でもある。
深いテーマだ。
私は、タワーマンションという商品には、実需を超える何かが宿ることがあると感じている。
前編「欲望編」で触れた、その延長線でもある。
高層。
希少住戸。
眺望。
都心プレミアム。
これらは居住価値であると同時に、市場では金融的価値として扱われることがある。
ここが特殊だ。
本来、住宅とは暮らしの器だった。
だが一部では、
売買差益を狙う。
保有益を狙う。
資産逃避先とみる。
そうした視点が混じる。
ここで、住まいは時に金融商品に近づく。
私は、この現象を単純に否定はしない。
市場とはそういう面を持つ。
だが、問いは持ちたい。
それは住まいなのか。
それとも投機対象なのか。
この境界は、曖昧になりやすい。
そして曖昧な時ほど、注意が要る。
私は、投機が価格を押し上げる局面を、どこか冷静に見たいと思っている。
熱狂は、時に合理を曇らせるからだ。
「皆が買っているから上がる」
これは市場では危うい論理でもある。
歴史はそれを何度も示してきた。
不動産は、永遠に片道ではない。
ここを忘れてはいけない。
特にタワーマンション上層部には、希少性プレミアムが乗る。
それ自体は理解できる。
だが、希少性と過熱は違う。
ここを混同すると危うい。
私は、ここで実需を大事にしたい。
住むために買うのか。
値上がり期待で買うのか。
この差は大きい。
実需は生活を支える。
投機は市場にさらされる。
リスクの質が違う。
深い違いである。
また、タワマン投機には出口戦略の難しさもある。
高値で買えば、出口は厳しくなる。
流動性にも影響する。
これは前編「流動性編」ともつながる。
すべて一本につながっている。
私は、住まいを金融商品としてだけ扱うことには、どこか違和感がある。
住まいには、暮らしがある。
人生がある。
そこが根底にあるべきだと思っている。
もちろん、高額マンションを資産戦略として持つ考えはある。
否定しない。
ただ、それを一般住宅購入と混同してはいけない。
ここは分けて考えるべきだ。
私は購入者に言いたい。
タワマンを買うなら、
眺望を見る前に価格の熱を見てほしい。
ブランドを見る前に出口を見てほしい。
欲望を見る前に、実需を見てほしい。
それが大事だ。
住まいは、投機の器になることもある。
だが本質は、暮らしの器である。
私は、その順番を逆にしたくない。
最後に、この連載を締める意味も込めて言いたい。
不動産とは、
欲望でもあり、制度でもあり、市場でもある。
だが、その中心にあるのは本来、
人が住むということ。
そこを忘れない限り、大きくは誤らない。
そして私は、こう考えている。
住まいは、金融商品になりうる。
しかし、住まいであることをやめてはならない。
これが、この連載の最後に置きたい、一つの結論である。